「ご無心」に応える支援
- tanizawae
- 2014年10月14日
- 読了時間: 2分
昨日は、前回の18号のときと同様に、台風19号の情報収集にかかりきりでした。今日は打って変わって澄み渡った秋の空。体全体で受けとめたくなるようなさわやかな風でした。
さて、ノーベル賞受賞に際して書いた文章に対し、感想のメールをいただきました。
今回のノーベル物理学賞が身近に感じられた理由の一つが、私も学生時代に悪戦苦闘したCVD(ケミカル・ヴェイパー・デポジット)という方法による実験の成果であるということで、支援される側の視点から考えを述べました。
大局観をもって我が国の抱える課題に提言をしたわけではありませんが、若者育成の視点からの感想を寄せていただいたことをうれしく思っています。
漂流といってもさまざまです。
スポーツや芸術の、国際大会、国際コンクールなど大きな目標を掲げ、それを実現するために厳しい練習や生活に耐えるような雌伏もあれば、いじめ・不登校、低収入・無収入など、人としての尊厳の侵害から脱却したいとの煩悶もあります。ノーベル賞受賞者のように、(おそらくほとんどの受賞者がそうだと思われますが)受賞そのものを目標として掲げなくても、幅広い分野に関連し、結果として多くの人々の生活に影響を与え、将来の遺産となるような功績を残したという、長期に渡る継続的な活動もあります。
山梨県人は、ものをねだったり、頼みごとをするときに、「ご無心です」といいます(自分と同じような気持ちでの支援をお願いしたいとの下心も感じられなくはないですが)。
終了した「花子とアン」のイントネーションがまだ印象に残っていますが、昔の人は例えばこんな風に言いました。「ご無心だ、助けてくりょう」「いいさよう、ごっちょだけんど」。
税金や資本を投入するとなると、現実には、費用対効果や説明責任は避けて通れません。行政にしても民間企業にしても、リスクをおかして支援することが難しいことはわかります。
いずれにせよ、担保を持ち合わせないと承知しつつ手を差し伸べてくださることは、若者にとって何よりの励みになると思います。
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