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小説「万力林」 続き

  • tanizawae
  • 2014年11月1日
  • 読了時間: 2分

 政治とカネの問題で緊張が走っています。進退がどうなるかはともかく、あの若さ、あの器量で毅然と対応する前大臣の肝のすわったようすに驚きました。「どうせこの世は、カネの流れに翻弄されるギッチョン籠」とでもいうような表情にも見えました。

 さて、「万力林」の、万力という地名の由来については、角川日本地名大辞典に、「万人の力を合わせたような堅固な堤であるように願って万力の名がつけられた」とありますが、この小説を読むと少しニュアンスが違います。

 小説「笛吹川」とも共通するかもしれませんが、この小説ではそこを統治する「お屋形様」や連れてこられた原因となった「いくさ」のことはどっちでもいい。川をめぐる人の思惑もあてにならない。ただ、荒れ狂う川をなんとかしたい、そのために目の前の自然現象としての水の流れをいかに制御するかという思いだけが伝わってきます。

 笛吹川では、治水のため、河原の中心に近いほうから聖牛、石籠、雁行堤、さらに松林という、何重もの守りで水の力を吸収していたようですが、それでさえも、一方的に守りを固めたところでその力が対岸に向かうことは明らかです。両岸セットでの水防は治水の常識であると思われます。

 この小説では、笛吹川を挟んで、対岸の住民どうしのトラブルが描かれます。そこに、川の西も東もない「縄者」が連れてこられたわけです。

 荒れ狂う笛吹川を治めるためには、流れをさえぎり、力をそぐとともに、対岸と連携して要所要所を締めたり、弛めたりしながら、鉄器時代から鍛冶屋さんの仕事とともに歩んできたであろう万力のように、水流をコントロールすることを必要としました。

 万力という道具からイメージする林が、対岸に向かって、歩調を合わせ、協力関係を呼びかけるような、より具体的なメッセージを発する和平の象徴のように感じられました。

* お断りしましたように、この本を読んだのも、それについての感想を

持ったのも20年以上前のことですので、事実誤認があるかもしれませ

んがご容赦ください。その節はご指摘をお願いします。

 
 
 

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