差出の磯の千鳥 続き
- tanizawae
- 2014年10月29日
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甲府から笛吹川に沿って雁坂峠に通じる秩父往還は、万力から塔の山よりはるか西の山道を通って岩手に抜けていたそうです。それが、八幡、岩手の人たちの道普請で、笛吹川右岸沿いの塔の山の断崖が削られ、差出の磯の脇を通る平らな道が切り開かれたことがきっかけで、亀甲橋や、そのたもとの「亀甲軒」ができたそうです。
「みずや」と呼ばれていた「亀甲軒」には、母の実家に「お客に行くときに」立ち寄って、かき氷だったか食べた思い出があります。橋のたもとにあって、川へ突き出たようになっていました。深沢七郎の小説「笛吹川」は、6代に渡る家族の人生を描いたものですが、その舞台の「ギッチョン籠」のモデルともいわれる「みずや」は、私の記憶の中では、広いフロアで、大きな船のようでした。
作家・深沢七郎の「楢山節考」や「笛吹川」については、まず映画で観て、その次に、本人と会い、それから作品を読んだという経緯があります。
菖蒲町でラブミー牧場をやった後、向島で夢屋という今川焼き屋をやり、それから草加に移り住んでいたことは知っていました。当時草加にいた私は、映画を観てからしばらくした頃、知り合いから、山梨の人がやっている「夢屋」という店があるよと聞かされ、早速団子を買いに出かけました。
続く
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