亀甲軒と「ギッチョン籠」
- tanizawae
- 2014年10月30日
- 読了時間: 2分
続きです。
団子屋はすぐわかりました。店に入ると、奥から、薄いセーターに半纏をはおり、作業ズボンを履いた老人が出てきました。なぜ作業ズボンまで覚えているかというと、社会の窓が少し開いていたからです。
有名人だった作家の顔は全く知らなかったのですが、その眼光から、ああこの方なんだとすぐわかりました。大きい焼き団子を注文して、パックに包んでもらって、買って、帰ろうというとき、「日川高校の後輩です」と私が言いました。
どんな思いで高校(旧制中学)時代をすごし、どんな思いで校歌を歌ったのかもわからず、しかも初対面です。今となっては我ながらよく勇気を奮ったものだと感心します。
ところが、そのときの反応は全く意外なもので、作家は直ちに相好を崩して、「こっちへこうし。座って話すじゃん」と言いました。私は言われるまま上がり込んで座りました。
話題は、小説や映画のことではなく、故郷・山梨のことでした。
よく覚えているのは、「ぶらぶらしていた頃、あなた(私)の近くの友人(同級生)に世話になった」というものでした。夕方、県庁からの帰りを、甲府駅の近くでつかまえるのだそうです。それから一緒に飲んだのか、食べたのか、よく奢ってもらったということでした。
その同級生というのは、山梨市の八幡の南区、亀甲橋から数分のところに住む方です。時には、飲んで、差出の亀甲軒の脇を、千鳥の声を聞きながら一緒に歩いたことがあるかもしれないと、勝手な想像をしました。
小説「笛吹川」の、淡々と書かれた小さな家のモデルは、亀甲軒ではなく、鵜飼橋のたもとの別の家であるという記述もあるそうですが、それぞれに深い思い入れがあって、だからこそ「ギッチョン籠」という衝撃的な表現にたどり着いたとも想像されます。
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