道徳の教科化
- tanizawae
- 2014年10月23日
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中教審というのは、中央教育審議会のことで、学識経験のある者のうちから、30名くらいの委員が文部科学大臣によって任命され、諮問されたことについて審議を重ね、答申をすることになっています。基本的には、その内容は政策に反映されます。
その中教審が、道徳を特別の教科とすることを答申しました。
これまでは、道徳は教科外活動で、検定教科書も評価もありませんでした。今後は、学習指導要領が改定され、2018年度には授業も始まるとの見通しです。
時代背景として、いじめによる中学生の自殺などで問題とされる規範意識や生命尊重の意識の希薄化への危機感、グローバル化の裏返しとしての郷土愛や愛国心の必要性、情報モラルや環境問題への対応のための課題などが念頭にあるものと思われます。
一方で、「中央統制的な空気」(H26.10.23付け、毎日新聞社説)への懸念が答申内容からも指摘されていて、同社説では以下のように説明をしています(抜粋)。
「答申は、特定の価値観を押しつけたり、言いなりに行動するよう指導したりすることは道徳教育に全く反するとし、多様な価値観と向き合い考える力が大事だと強調する。・・・・今の時代に根差し、グローバルな視点で新たな道徳教育をという理念には賛成だ。そのためには、できるだけ枠をはめず、多様で独自の工夫を生かした取り組みができるようにしたい。」
4年後の実施までの間にも、学習指導要領の改訂、教科書の作成、導入、評価のあり方などが取り上げられるたびに、このような懸念が指摘されるものと思われます。
上の社説の前半をフォローすれば、例えば、立派な法やきまりであってもその運用を誤れば、私たちは全く意図されない方向へと導かれるということでしょう。以前書いた自然災害と同様に、(運用する)人の行動にも想定外はつきものですから。法やきまりをつくる場合、運用する場合、チェックする場合、いずれの場合でもそれぞれの段階に応じた関心は必要です。
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